七人の侍は1954年に公開された黒澤明監督による日本映画の傑作です。
戦国時代の貧しい農村が舞台。野武士が農村を襲ってくるため、農民は用心棒として侍を雇います。
真に迫る戦いのシーンや、登場人物の心理など、とても細かいところまで描いた、本当の名作だと思います。
この記事では、映画のあらすじとこだわりのキャスト、ロケ地、そして、アメリカでリメイクされた映画のことを紹介しています。
ぜひ、動画配信でじっくりと鑑賞されることをお勧めします。
七人の侍のあらすじ
戦った七人の侍
戦国時代、ある山間の小さな村の人々は、たびたび起こる野武士の襲来を恐れていました。
そこで、用心棒として侍を雇い入れることにします。
侍探しは大変でしたが、それぞれ個性的な七人の侍が揃いました。
侍の勘兵衛たちは村の周辺を観察して防御方法を考え、村人たちに戦いの心得を伝えます。
初めは警戒していた村人も次第に心を開いていきます。
そしてしばしの平和が訪れますが、野武士らの襲来により戦いが始まります。
最後の戦いは雨の中、勝利か死かの激しい戦いが行われます。
最後ラストの結末
村を要塞化して、野武士からの猛攻を防ぐ作戦を立てます。
その方法は、初めは功を奏していたのですが、激しい攻防の中で次々と農民も侍も倒れていきます。
その戦いはあまりにも凄まじく、遂には敵味方入り乱れての大混戦となってしまいました。
そして、菊千代は相打ちになりながらも野武士のリーダーを打ち取ることができ、そこで戦いは終わります。
ただ、生き残った侍は勘兵衛、七郎次、勝四郎の三人だけとなってしまっていました。
戦いが済んで、村を見晴らす丘の上に建てられた侍たちの墓の側に立つ勘兵衛たち。
墓の下では、農民たちが総出で麦の収穫をしていました。
村は守られました。そんな農民たちの姿を見ながら勘兵衛は「勝ったのは我々ではない。農民たちだ」と呟くのでした。
七人の侍の監督とキャスト
こだわりのキャスト
監督は黒澤明、主演は、三船敏郎と志村喬。
村の百姓役は計58人。映画の撮影期間中ずっとオープンセットの村で、麦刈りをやり、田植えをし、野武士と戦ったため、まるであの村で本当に生活している気分になったそうです。
また監督の指示で、重要なお婆さん役には、俳優ではなくて、本物の百姓の婆さんをつれてこいとのことで、老人ホームのお婆さんを起用しました。
野武士に鍬を振り回す演技では素人のためなかなかセリフや立ち回りもうまくいきません。
そこでお婆さんは、東京大空襲を経験しており、その時の気持ちを言えばいいとアドバイスをしました。
実際にカメラが回ると、「身寄りがB29に殺されて~」と実際と違うセリフが出てきてしまいます。
何度やっても同じでした。しかしとてもいい表情が撮れたので、セリフだけ吹き替えて、映像を使ったというエピソードがあります。
七人の侍の撮影の舞台
難航した撮影
映画は、1年もの長期撮影でした。シナリオと同じイメージの村を探しましたが難航したようです。
村の東は伊豆長岡、西は御殿場、北の斜面は下丹那、集落部分だけをオープンセットと厄介な撮影条件になりました。
しかもこの年は例年よりも梅雨に期間が長く、撮影できない日も多くありました。
また調教を受けた軍馬が戦争でいなくなり、代わりに農耕馬を使ったため、馬が思うように走らなかったそうです。
このような苦労がありながら、歴史に残る名作が誕生しました。
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引き継がれるストーリー
『七人の侍』はオリジナル版を短縮した国際版が海外で公開され、日本のサムライが大活躍するアクション映画として高く評価されました。
そしてハリウッドではリメイク版として『荒野の七人』が製作されました。
貧しいメキシコインディオの村が無法者に襲われたため、白人のガンマンを雇って討伐を依頼します。
そして無法者と白人達の壮絶な銃撃戦となりますが、結局白人は追放され、無法者も退治され、村人だけが最後に勝利するストーリーです。
映画はハリウッドでは大成功でしたが、黒澤明監督は納得のいかないものを感じていました。
それは、リメイクに死者をめぐる哀悼の感情が表現されていなかったからです。
また2017年には、『荒野の七人』をリメイクした映画『マグニフィセント・セブン』が公開されています。