粉もんの材料は小麦粉、その歴史と種類には驚くことばかりでした! | 映画はいつもそこにあった

粉もんの材料は小麦粉、その歴史と種類には驚くことばかりでした!

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広い意味では麺類、パスタも粉もんかも

「粉もの」は、たこ焼きやお好み焼き、もんじゃ焼きなど、小麦粉を主原料にして、焼いたものを指すんですね。

粉ものを「粉もん」と親しみを込めて呼ぶのは関西圏で、そこでは粉もん文化とまで言われているんですよ。

たこ焼きボーイもこの大阪に根付いた粉もん文化が愛おしく、とても好きなんですね。

さて、大阪の粉もんの代表でもあるお好み焼きやたこ焼きですが、関西以外でも、広島で広島焼き、東京でもんじゃ焼きがあります。

「粉もの」は、狭い意味では小麦粉を水でといた生地を焼いたものを指しますが、広い意味では小麦粉や米粉、そば粉などを材料にして作られる料理も含んでいるそうです。

ということは、お好み焼きやたこ焼き以外にも、うどんやそば、パスタ、餃子、ケーキも「粉もの」と呼んでもいいようですね。

さらに、ラーメン、ピザ、クレープ、肉まん、団子、ホットケーキ、たい焼きと、広げていくときりがないと思います。

小麦粉の種類

小麦粉の種類は大きく分けて、強力粉、中力粉、薄力粉の三つです。この違いは使用する小麦の種類によって決まります。

硬質小麦、中間質小麦、軟質小麦

小麦そのものに、硬質小麦、中間質小麦、軟質小麦という違いがあり、それぞれの実に含まれるタンパク質の量が違います。

硬質小麦ほどタンパク質含有量が多く、強力粉になり、中間質で中力粉、軟質で薄力粉とタンパク質含有量が少なくなっていきます。

タンパク質含有量が違うと小麦の、グルテンの形成力を左右することになります。

小麦に含まれるタンパク質は、ほとんどがグルテンを形成するグリアジンとグルテニンなので、タンパク質が多い硬質小麦を使った強力粉が、パン作りに適していることになります。

強力粉、中力粉、薄力粉

こなの種類によって使用用途を分類すると、
・強力粉・・・パン、ピザなど
・中力粉・・・うどんなど
・薄力粉・・・ケーキ、お菓子など
となり、粉もんに使われるのは、このうち薄力粉になります。

小麦粉には等級というものもある

実は、小麦粉には一等、二等といった等級があるのです。

この等級は小麦にふくまれるミネラルの量で決まります。ミネラルが少ないほど等級が高くなり、小麦粉は白くなるそうです。

全粒粉やデュラムセモリナ粉とは

全粒粉は、小麦を丸ごと粉にしています。というのは、一般的には、小麦粉の表皮や胚芽を取り除いて、小麦の胚乳だけを粉にしますが、表皮や胚芽にもたくさんの栄養分が含まれているので、全粒粉は、栄養価が高くなります。

デュラムセモリナという小麦粉はパスタやマカロニに使用されますが、タンパク質の含有量が極めて多く、胚乳そのものが黄色くなっています。

パスタやマカロニがなぜ黄色いのかな、と不思議に思っていましたが、実は、このデュラムセモリナの胚乳のためだったんですね。

小麦粉が誕生する歴史

実は、小麦や大麦は、約1万年前には、すでに栽培が始められていたそうです。

このことは、発掘された遺跡から小麦の穂などが発見されていることからもわかるということです。

その昔は麦や雑穀類を混ぜて、石と石の間にはさんで砕き、それを焼いて食べていたと言われています。

土器が作られるようになると、麦は粗挽きにして、お粥のようにして食べたのではないかと推定されています。

小麦粉とパンの誕生

サドルカーン

紀元前3000年頃の古代エジプトでは、古代の石臼であるサドルカーンで小麦を挽いて、水を加えてこねて、パンを焼いていたと考えられています。

ただ、この頃のパンは現代のものとは違って、平たいものでした。

あるとき、こねた生地を焼かないで放っておくと、生地が膨らんでしまいました。空気中の天然酵母が入ったのでしょう。

これを焼いてみると、やわらかく、おいしいパンが焼けたのです。これが発酵パンの誕生だといわれている話です。

エジプトのサドルカーンは、平たい石の皿に小麦の粒を入れて、体重をかけながら石ですりつぶすものです。

ロータリーカーン

紀元前600年頃の古代オリエント時代には、ロータリーカーンという回転石臼が考え出されたと言われています。

ロータリーカーンの原理がヨーロッパや中国にも伝わって、それが、水車や風車によって大規模な製粉が行われるようになっていったそうです。

18世紀のイギリスの産業革命で、製粉技術は変化して、大規模な製粉工場が登場することになります。

そして、19世紀には、現在の製粉工場でも使われているロール機が発明されて、品質のよい小麦粉が生産できるようになりました。

日本での小麦生産と小麦粉

日本は米の生産だけのように思われていますが、弥生時代の中期頃には、水田耕作と並行して麦類も生産されていたと言われています。

初めは重湯のようにして食べ、お粥になり、粉にして平焼きにするようになります。そして、紀元前2000年頃にはパンに似た食べ物もつくっていたと考えられているんですね。

うどんやそうめん、きしめんのような麺は中国から伝わりました。さらに、室町時代になると、禅僧の点心としても食べられていました。

その後、日本の気候や環境に合わせて工夫されたものが、日本独特の麺へと変化していくんですね。

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