映画「ギルバート・グレイプ」は1993年のアメリカ映画です。
ピーター・ヘッジズの同名小説の映画化で、L・ハルストレム監督による青春映画になります。
自分の人生を犠牲にしながら一家の大黒柱として家族の面倒をみる心優しい青年ギルバートの、田舎町での閉塞的な生活を描いた作品です。
この記事では、映画のあらすじと監督とキャスト、映画のタイトルの意味について紹介しています。
デカプリオやジョニーデップの若き頃の姿を見て、ワクワクしました。
ギルバート・グレイプのあらすじ
新たな希望は生まれるのか
重度の知的障害を持つ弟、夫の自殺後過食症で肥満になり、7年間一歩も家から出たことが無い母、そんな母親の身の回りの世話をする姉、反抗期真っただ中の高校生の妹など、ギルバートは小さな食料品店で働きながら大きな重荷を一人で抱えています。
そんなある日、町を訪れたジプシーのような生活をするベッキーとの出会いが、ギルバートの悶々とした生活に新たな風を吹き込みます。
ベッキーの個性的な価値観に触れたギルバートは、それまで考える暇もなかった自分の人生について考えはじめ、新たな希望を見出していきます。
ギルバート・グレイプの監督とキャスト
スタッフ、キャストすべてが一流!
監督ラッセ・ハルストレム
ギルバート・グレイプは、アメリカ人作家ピーター・ヘッジズの同名小説を、音楽グループABBAのドキュメンタリー映画『アバ/ザ・ムービー』やスパイダーマンでお馴染みのトビー・マグワイア主演『サイダーハウス・ルール』など数々の有名作品を手掛けたスウェーデン人監督ラッセ・ハルストレムが映画化した作品です。
撮影監督や編集技師などの製作スタッフも、数々の名作を手掛けアカデミー賞をはじめとする多くの賞の受賞歴を持つプロフェッショナルが集結しました。
もちろん、製作陣だけではなくキャストも超豪華です。
ジョニー・デップ
ジレンマを抱えながらも希望を見出そうとする田舎青年の役をジョニー・デップが演じています。
撮影中、彼は私生活でも困難を抱えていた時期であったため、その苦悩が役に生かされていたとインタビューで振り返っています。
レオナルド・ディカプリオ
知的障害を持つ弟役をレオナルド・ディカプリオが演じ、役作りのために知的障害を持つ子どもたちと施設で数日間一緒に過ごし、彼らがどういった思考を持ち行動するのかを学んだそうです。
ディカプリオはこの作品で若干19歳にして初めてアカデミー賞にノミネートされ、それまでの単なるイケメン俳優というイメージを払拭し、演技派俳優としての第一歩を踏み出しました。
映画公開から30年近く経った今でも、第一線で活躍する俳優たちの若き日の共演も本作の見どころの一つです。
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原題に込められたメッセージ
映画ギルバート・グレイプは、アメリカ人作家ピーター・ヘッジズの小説処女作『What’s eating Gilbert Grape』が原作で、彼自身が映画の脚本も手がけたためか、小説の映画化で起こりがちな原作と映画とのギャップというものはほとんど見受けられません。
原題である『What’s eating Gilbert Grape』ですが、直訳すると「何がギルバート・グレイプを食べているのか」という意味ですが、意訳すると「何がギルバート・グレイプを悩ませているのか」という意味になります。
むしろ、直訳の「食べる」から派生して、「悩む」より「蝕む」のほうがギルバートが置かれた境遇のイメージ的にはしっくり来るかもしれません。
これはつまり、アメリカの片田舎の小さなコミュニティでの悶々とした生活に嫌気がさしながらも、家族を見捨てることが出来ず、自分を押し殺してジレンマと闘うギルバートの閉塞的な状況を表していて、タイトルだけで物語の大筋を語っている気がします。
日本語タイトルからは決して想像できないメッセージが原題には込められていて、原題を知っているのと知らないのとでは、映画に対する印象が変わってくるかもしれません。
この作品をはじめて観る人も既に観たことがある人も、この原題が意味するところを意識しながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。