明石玉から生まれた明石焼き
独自の発展を遂げた明石焼きとは
明石焼きは、明石の地に生まれた、独自の料理です。
地元では、卵焼きと呼ばれていて、本当に、地元ならではの、特別な感じがします。
明石で明石焼きを食べて感動したたこ焼きボーイです。
さて、江戸時代の末期の頃の話です。
明石にべっこう細工を作っていた江戸屋岩吉という人がいたそうです。
岩吉が寒い日にふところに卵を入れていました。ところが、その卵が割れて、白身が固まってしまいました。べっこう細工師だった岩吉はそこからヒントを得て、「明石玉」を作ったそうです。
岩吉の作った明石玉は、卵の白身を接着剤として使い、硝石などを固めたものです。これが、代用サンゴとして、かんざしなどに使われて大いに人気を得たというのです。
ところが、明治時代中頃になって、外国からセルロイドが入ってきて、明石玉にもセルロイドが使割れるようになっていき、次第に明石玉は人気を失って行きます。
仕事を失った職人は、明石玉製造用の型を利用して丸い食べ物を屋台で売り始めたと言うのです。
昔から、明石には名産のタコがあり、明石玉の型に、小麦粉で作った生地を入れ、その中にタコをいれてみたら人気となったというわけです。
ふんわりと焼き上げた明石焼きは、赤い板の上に並べられて、高級食品かと見まごうほどに、上品な料理になっていったんですね。
明石の地元では、たこ焼きという呼び名は存在しませんし、明石焼きとも言わずに、「玉子焼」というのが普通だと言うことです。この辺りにも、誇りを感じずに入られません。
明石焼きを支えるもの
1.明石焼きに欠かせない「じん粉」
「玉子焼」という名からわかるように、明石焼きと卵は切り離せません。しかし、実は、明石焼きの特徴を支える食材に、「じん粉」があるのです。
この「じん粉」は、小麦粉に含まれているでんぷんを精製した粉のことで、これを生地に入れると、独特のフワフワした食感が生まれて、柔らかくても崩れないのです。
2.手打ちの銅製の天板
タコ焼きの型を焼くイメージは鉄ですね。ところが、明石焼きでは銅の天板を使うことが多いそうです。
銅は熱伝導に優れているので、あの明石焼きの食感を生み出すのにはもってこいだとか。銅板のおかげでフワフワに仕上がるそうです。
明石には手打ちの銅製天板を作る優秀な職人がいるそうで、明石市内外の明石焼きのお店ではほとんどこの天板を用いているんですね。すごい職人技なんだろうなと思います。
だし汁につけるスタイルについて
誕生した当時、明石焼きは1個単位で売られていたそうです。その頃は、だし汁もなく、何も付けずに食べるというスタイルでした。
その後、玉子焼が熱いので、冷たいだし汁につけて冷ますようになったということです。昭和30年代過ぎた頃になると、温かいだし汁を出すようになって言ったと言われています。
しかし、最近は、だし汁につける前に、塩をつけるというお店や、ソースをつける店も出てきて、明石焼きのお店も多様化してきているということです。
たこ焼きの誕生は明石焼きよりも遅い
さて、大阪のソウルフードとも言われるたこ焼きが誕生したのは、昭和に入ってからです。
これは、明石焼きに比べて、かなり遅いんですよ。明石焼きはそれくらい早く、独自の道を歩んでいたと言うことは、感動です。
大阪では明治時代から大正時代にかけ、「ラヂオ焼き」や「チョボ焼き」と言った丸い食べ物がありました。
焼いた玉の中には、コンニャクや牛スジなどの具が入ったものだったのです。
しかし、昭和に入って、具に牛スジを入れたラヂオ焼きを売っていた大阪今里の「会津屋」が、常連の言葉をヒントにして、ラヂオ焼きの中にタコを入れたところ評判になったのです。
これが昭和10年のことで、たこ焼きの誕生です。しかし、タコが入った明石焼きの誕生からはかなり遅かったのです。