いつも、冷凍のたこ焼きを電子レンジでチンして食べているという人、結構多いでしょうね。
でも、屋台や店の軒先で食べるたこ焼きも捨てたもんじゃないと思っているたこ焼きボーイです。
実は、たこ焼きがポピュラーになるまでには、紆余曲折の歴史があったのです。
なぜなら、ある店でのある会話がなければ、ひょっとしたらたこ焼きは生まれていなかったという説もあるのですから。
この記事では、たこ焼きがたどった運命の歴史の一端を紹介しています。
これを読んだら、電子レンジでチンしているより、本場のたこ焼きを食べたいと思うでしょうか。
たこ焼きにとってラヂオ焼きが一番近い祖先
たこ焼きの祖先を遡っていけば、、明治時代、東京で作られたもんじゃ焼きに行き着くというのが通説だそうです。
しかし、これはあくまでも、そこにつながるというだけですよね。やはりたこ焼きという、あの丸い食べ物とは似て非なるものだと思ってしまいます。
実は、大正時代に、もんじゃ焼きのテイクアウト用に水を少なくして焼き上げて、どんどん焼きが誕生しています。これが直接のたこ焼きの祖先だと言えそうです。
専用のくぼみのある鉄板に小麦粉を溶いたものを流し入れて、そこに、具と醤油を入れて、ネギや鰹節をまぶして作られていました。
この「どんどん焼き」が、関西に伝わって、ちょぼ焼きと呼ばれて、ウスターソースを塗って食べていたというのですね。
その後、ちょぼ焼きを、大きく焼いたラヂオ焼きが誕生します。
たこ焼きの直接の祖先はラヂオ焼き
このラヂオ焼き、変わった面白い名前ですね。
なぜ、ラヂオ焼きというのかは、諸説あって、これが正しい、というものはないそうです。
ラヂオが高級品の象徴だったので、ハイカラなイメージを考えてつけたのか、ラヂオ焼きが丸かったので、ラヂオの丸いダイヤルの形に連想してつけたとか、そういった説があります。
どうも大正時代頃のものの名付け方には、一つの特徴を思い切り誇張する傾向があったのかなと思ったりします。
さて、今のたこ焼きが具にタコを入れているのに対して、ラヂオ焼きはコンニャクを煮たものを入れていたということです。
たこ焼きがついに誕生
昭和8年、大阪の今里というところで、福島県の会津出身の遠藤留吉さんという人がコンニャクの代わりに牛スジ肉入れたラヂオ焼きを始めたといわれています。
遠藤さんの出身が会津だったということで、店の屋号が会津屋なんですね。
この時はまだたこ焼きは存在していません。
そして、ついに運命の時が訪れます。それは昭和10年、店主がラヂオ焼きを食べたお客さんの言葉にひらめいて、そして、ついに「たこ焼き」が誕生したのです。
このお客は「大阪では肉を入れるけど、明石ではタコを入れる」と言った意味のことをことを言ったとか。
遠藤さんは、なるほどと思い、具にタコを使って、ラヂオ焼きを、タコ入りを強調した「たこ焼き」という名前で売り出したということです。
戦前に作られた、このたこ焼きは、生地にダシが入っていて、醤油風味の味をつけていたので、何もかけずに食べていたということです。
今も、会津屋のたこ焼きは、この醤油味が守られていて、何もつけずに食べることができますよ。
戦後になって、昭和23年にとんかつソースが発明されました。これによって、ソースとのりを使ったたこ焼きが普及したということも言われています。
たこ焼き誕生のきっかけになった明石焼き
たこ焼きのルーツの一つ、と言われているのが、「明石焼き」です。
兵庫県明石市に生まれた郷土料理で、明石では玉子焼きと呼んでいます。
これは、卵とだし、浮粉や沈粉と言った小麦粉でんぷんの粉と小麦粉を混ぜて生地を作ります。
その中に、タコを入れて丸く焼いて、添えて出されるだし汁につけて食べるんですね。卵とタコとだし汁のバランスが絶妙です。
この明石焼きの中に入っていたタコが、たこ焼きの誕生と深い関わりがあったというわけです。
ただ、気をつけないといけないのは、あくまでも、明石焼きからヒントを得ただけで、明石焼きが祖先だったというわけではないということです。
こういったことにも、食文化の面白さがあるように思います。
今も食べることができるラヂオ焼き
東京の三軒茶屋というところに、「ラヂオ焼」というお店があるそうです。
ここでは、昔食されていた通り、コンニャクと牛スジ肉の具を入れて焼いたものに、マヨネーズやポン酢、ソースどれかをかけて食べるのです。
また、先ほど紹介した、大阪今里の会津屋さんでも「元祖ラヂオ焼き」と言う牛スジ入りのものが食べられるそうです。
たこ焼きの歴史を知るとなんとも奥深いものです。この歴史を知って食べたら、味わいが増すかも知れませんね。
明石と言えばタコと言われるわけ
たこ焼きを生むきっかけとなった、明石のタコです。
そのことについても、少し触れておきたいと思います。
実は、かつて、明石海峡を渡るフェリーの名は、「たこフェリー」と呼ばれていました。それくらい、明石とタコは切っても切れない関係だったというわけです。
明石海峡は、潮流が激しいので、タコにとって必要なエサが豊富なんですね。7~8月になると、水温が上昇し、タコのエサであるエビやカニも増えてきます。
そのため、タコは一気に成長します。その頃は、麦の収穫時期だということで、麦わらダコなんて呼ばれてきたそうです。
そんな明石のタコが美味しいわけですが、明石海峡の激しい潮流にもまれているので、身が締まっていることと、エサが豊富、それも稚ガニが多いので、そんなカニやエビを毎日食べているタコは美味しく育つというわけです。