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粉もんって何者?お好み焼きとたこ焼きだけと思ったら大間違でした

こんにちは、たこ焼き大好きのタコボーイです。

「粉もん」という言葉、今や大阪のたこ焼きとお好み焼きの代名詞として広がってしまった感がありますね。

実は、粉もんを厳密に語れば、食生活の中に、どれだけ多くの粉もんがあるかということに気づくことになるんだとか。

なぜなら、穀物を粉にする方法ははるか昔から続けられてきた、人類の食文化の財産なんですね。

そこで、小麦粉が普及して行った経緯や、お好み焼きやたこ焼きが誕生した歴史なんかを調べてみたくなったわけです。

もっと、粉もんについて、理解を深めて、これからも楽しく粉もん食生活を堪能したいですね。

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粉もんで思い浮かぶのは?

粉もんと聞いて、僕は、お好み焼きとたこ焼き、もんじゃ焼きの三つを思い浮かべました。

なんとなく、鉄板の上で焼く料理というイメージですね。

じゃあ、うどんやパン、パスタはどうなるのかな、と後から思いました。

粉から作っているんだから、これらも含める方が理にかなっているのかなということです。

それと、粉もんの粉といえば小麦粉だと思い込んでるけど、米粉やそば粉、トウモロコシなんかも入るのかなと疑問を持ちました。

まず粉もんの歴史から

「粉もん」という言葉が江戸時代には、「こねもの」という意味でも使われていたとそうです。

要するに、粉にして、それをこねて作る食べ物という意味だったのでしょう。

こうなると、日本には、まさに粉もんと呼べる食べ物が実に多く存在することがわかってきますね。

「粉」を、麦やコメに限定するのか、豆やいもまで広げるかで、また、世界が変わって見えてくるんだということがわかり、とても面白くなりましたね。

一般的には、小麦や米の粉のことをいう

穀物をそのまま食べずに、粉にして、それを練って焼いたり、蒸したりと加工して食べるという行為は、穀物を貯蔵するために必然的に生まれた方法だったのではないかと思います。

しかし、昔、穀物を粉にする方法が簡単にできるはずがないですよね。要するに、石臼ができるまでは、まともな粉は手に入らなかったはずです。

人の手だけで穀物粉にするのは至難の技、というより、絶対無理。

それが、石臼を使うと、見事に粉になって、それを村の水車を使えば大量生産も可能になること、わかりますね。

実は、そういった技術革新が起こったのは江戸時代だとか。

『粉もん』という言葉が登場するのと、粉の普及は同時進行だということがわかりました。

そうやって、小麦や米、ソバを粉にして作った食べ物なんかが主食として広がっていくわけですね。

食生活と技術革新がこれだけ強く結びついているということを知って驚きでした。

小麦粉、うどん粉、メリケン粉の違いは?

粉もんの主な材料はもちろん小麦粉、ですよね。

当然のことですが、これはもちろん、小麦を挽いて、粉にしたもののはずです。

それなのに、同じ小麦粉でありながら、呼び名がいくつかあるのはどういうわけなんでしょう。

ややこしい話です。

小麦粉

これは、一般的な、スーパーなどで購入できるものをさしているそうです。

うどん粉

うどん粉は、なぜか、国産の小麦で作られた小麦粉を指してということです。

江戸から明治にかけて、うどんを作る時に用いられたので、小麦粉のことをうどん粉と呼ぶようになったという話が伝わっているそうです。

メリケン粉

これは、明治後半の時期に、アメリカから輸入された小麦粉の呼び名なんですね。

アメリカの粉→アメリカン粉→メリケン粉、とちょっと聞き違えたんじゃないのか、と聞き惑うような話ですね。

お好み焼きの誕生と歴史

さて、いよいよ粉もんの歴史です。

最近では粉もんといえば大阪、そして、代表はお好み焼きとたこ焼き、となっていると僕自身が感じているところでもあります。

確かに、専門店がずらりと並んで、名店になると、行列が絶えない盛況ぶりはどこに魅力があるからに違いありません。

麩の焼き

まず、お好み焼きですが、安土桃山時代に、お茶菓子として作られた「麩の焼き(ふのやき)」というお菓子がルーツだと言われているんですよ。

麩の焼きは、主に小麦の生地にみそを塗って食べていた茶菓子の一つだとか。

助惣焼

この「麩の焼き」から生まれたのが「助惣焼」で、江戸時代から明治にかけて屋台で売られていたものみたいです。

味噌の代わりにあんこを塗っていたらしく、これはまるっきりおやつだなと思いましたね、

もんじゃ焼き

明治時代になって、東京で「もんじゃ焼き」や「どんどん焼き」が誕生し、次第にお菓子の域から主食の域へと発展していきます。

ちなみに、もんじゃ焼きは店で、鉄板上で食べるもの、どんどん焼きは持ち帰りができるように工夫したものだとか。

一銭洋食

次に登場したのが、一銭洋食という食べ物です。この呼び名、当時の人たちが、ソースといえば、洋食と思いこんでいたことに付け込んで、名付けたようにしか思えませんね。

一銭洋食は本当に手軽なもので、おやつの域を出なかったみたいです。

お好み焼きの誕生

戦後には、まさに飢餓の中では、空腹を支える必要がありました。一銭洋食にキャベツを混ぜて、そこに申し訳程度に豚肉をのせます。

これがお好み焼きの誕生だといえそうです。

重ね焼きから混ぜ焼きへ

最初のお好み焼きは、重ねながら焼く、重ね焼きという方法が一般的だったのです。

僕も小さい頃、家でお好み焼きを作った時は、重ね焼きで焼いた記憶があります。その後、街のお好み焼き屋で混ぜ焼きのお好み焼きを食べて、びっくりしました。

混ぜ焼きが主流になったのは、大阪では昆布ダシの文化が発達していったので、、昆布ダシと材料を全部を混ぜて焼く、混ぜ焼きに発展したと言われています。

広島では広島焼き

広島では一銭洋食から発展した広島焼きが広まったんですね。広島焼きでは中華そばを入れるのは当たり前です。でも、大阪では、中華そばを入れたものは特別にモダン焼きといった呼び名がついています。

たこ焼きの誕生と歴史

たこ焼きの祖先は、実はもんじゃ焼きだったと聞いて驚きました。

ちょぼ焼き

実は、大正時代にもんじゃ焼きから生まれた、ちょぼ焼きという焼き物があったんですね。

ラヂオ焼き

ちょぼ焼きが大阪に伝わって、牛スジを入れたラヂオ焼きになっていったのです。

明石焼き

明石では、卵とタコを組み合わせた明石焼きが誕生します。

たこ焼きの誕生

ラヂオ焼きの中に入れる牛すじの代わりにタコを入れたのは、明石焼きのことを教えてくれた人がいたから、という話は有名ですね。

たこ焼きも、初めは醤油ダシを入れて、味付けしていたのが、たこ焼き専用に工夫したソースが作られ、マヨネーズなどと組み合わせる現在のスタイルになっていったと言われています。

たこ焼き器

実は、大阪ではたこ焼きは当たり前の家庭料理で、各家庭には必ずといっていいほど、たこ焼き器があると言われているくらいです。

それくらい、大阪では、粉もんが支持されている、という話でした。

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