ハリー・ポッターとアズカバンの囚人、原作小説との違いで残念な所は? | MITU-Screen
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ハリー・ポッターとアズカバンの囚人、原作小説との違いで残念な所は?

映画って目に入る情報でほとんどのことを理解しようとしてしまいます。

それに対して、小説なら、視覚の部分は自分の想像でイメージを膨らませて行きます。

さらに、いろいろと、原作と映画は違って当然です。

この記事では、ハリー・ポッターとアズカバンの囚人で、小説と映画の違いの部分を少し考えて見ました。

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設定そのものの違い

それが原因で不満を言うだけは逆に残念

原作小説は、先ほど言ったように、読む人に、ある部分委ねている部分があるんですね。

読者は、自分でイメージを膨らませることができるし、そこに独自の世界を構築して楽しめるわけです。

まさに、それが原作の魅力だとも言えるのはないでしょうか。

しかし、映画は、見ただけだわかることや、場面から伝わることで伝えなければならない。

逆にこれが制約になっているとも言えるんですね。

こういったことからいえば、原作と映画はそっくりにすることが全てとはいえないのです。

その前提を受け入れずに、違う違うと言い続けても、エンターテインメントを楽しむことから離れてしまうのではないかと思います。

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アズカバンの囚人で際立つ違いの部分

仕方ないけど・・・

・怪物の本を贈ったのはハグリッド

映画では、漏れ鍋の宿屋で、ハリーに噛み付こうとします。
原作では、ハグリッドが、ハリーに誕生日プレゼントとしてあげたもので、ダーズリー家のハリーの部屋でハリーに噛み付こうとしています。

・ウィーズリー家のエジプトでの集合写真

原作ではエジプト旅行をしたウィーズリー家の集合写真が、新聞に掲載されます。
映画では、このことに触れていません。

・ブラックが罪を犯した時の様子を聞いたのは、三人

原作では、ハリーは、ロンやハーマイオニーと3人で、マクゴナガル教授、ファッジ魔法省大臣、ハグリッドたちの会話を偶然耳にします。
映画では、ハリーだけが一人、透明マントをして、この話を聞いています。

・エクスペクト・パトローナム

デメンターを倒す呪文の特訓で「楽しかったことの思い出」が、原作では、初めて箒に乗った瞬間、グリフィンドールが寮対抗戦で優勝したとき、自分が魔法使いとわかりダーズリー家を出て学校に行けるとわかった瞬間になっています。
映画では、初めて箒に乗った瞬間、父と母の顔、となっています。

・スネイプ先生がハリーを恨む理由

原作では、ポッターに対するスネイプの恨みの原因が明かされます。
映画では触れられていません。

・暴れ柳と叫びの屋敷

原作では、暴れ柳の根元の穴の先にある部屋が「叫びの屋敷」になっている。
映画には、この部分は出てきません。

・5人は、同級生

原作ではリーマス・ルーピン、ピーター・ペティギュー、シリウス・ブラック、ジェームス・ポッター、セブルス・スネイプの5人は、ホグワーツ校の同級生だと明かされます。
映画では、こうした背景は出てきません。

・バックビークに乗る3人の順番

原作ではバックビークの背中に乗る順番が、ハリーたちがバックビークから降りなかったため、前からハリー、ハーマイオニーの順で、一番後ろにシリウスがまたがっています。
映画では、二人とも一旦バックビークから下りたので、乗るときはハーマイオニーを先頭に、シリウス、ハリーの順になっています。

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楽しみ方は人それぞれ

それが原因で不満を言うだけは逆に残念

原作小説は、先ほども言いましたが、読む人に、ある部分委ねている部分があるのです。

読者は、自分でイメージを膨らませることができ、そこに独自の世界を構築して楽しめます。

それが原作の魅力だとも言えるのです。

しかし、映画は、視覚でほとんどの情報を伝える必要があり、そこには、見ただけだわかることや、場面から伝わること、といった映画ならでは要素が生まれます。

こういったことを前提として、原作と映画は存在しているのであり、そっくりにすることが全てじゃないのです。

その前提を受け入れることができずに、違う違うと言い続けても、もともとエンターテインメントは楽しむのが目的で、違いを指摘することが目的ではないと言うことでしょうか。

原作と違いをツイートから紹介

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